いきものがかり「笑顔」が、苦しい育児の日々に寄り添ってくれた
年子育児が始まったころ、私は毎日いっぱいいっぱいでした。
上の子もまだ小さくて、下の子のお世話も重なって、思うように動けない。一度にいくつものタスクが押し寄せてきて、余裕がなくて、笑いたいのに笑えない日もありました。
そんなとき、よく聴いていたのが、いきものがかりの「笑顔」です。
この曲を聴くと、がんばりたくてもがんばれない自分、子どもたちに申し訳ないと思ってしまう自分、それでも前を向きたい自分、その全部をやさしく抱きしめてもらえるような気持ちになりました。
うまくいかない毎日と、消えなかった申し訳なさ
年子育児は、かわいいだけでは乗り越えられない大変さがありました。
下の子をあやしている間に上の子が泣いてしまったり、上の子に我慢をさせてしまったり、どちらも大切なのに、どちらにも十分に応えられない。そんなことの連続でした。
わかっているのに、ついあたってしまうこともありました。
あとから「ごめんね」と言おうと思っても、うまく素直になれない日もありました。子どもたちのことが大好きなのに、うまく愛せていないような気がして、自分を責めてしまうこともありました。
でも、そんな私に向けられる子どもたちの笑顔は、いつもまぶしかったです。
大変だったはずの毎日の中で、ふと見せてくれる笑顔や、抱きついてきてくれる小さな体に、何度も救われました。
歌詞が言葉にしてくれた気持ち
特に心に残っているのが、
「そうさ君が笑ってくれるなら 僕は何でもできるよ」というフレーズです。
少し強がっているようで、それでも本音がにじんでいて、子どもの笑顔のためなら何とか踏ん張れる、そんな親の気持ちそのもののように感じました。
「花が散って花が咲くように なんども幸せを繰り返せたなら」という言葉も好きです。
毎日がうまくいかなくても、悲しい日があっても、また笑える瞬間が来る。子育てって、その繰り返しなのかもしれないと思わせてくれました。
「抱えきれぬ寂しさの中でも もしも君が一人でいるのなら」という一節にも、胸をつかまれました。
親だって孤独を感じることがあるし、子どももまた、言葉にできない寂しさを抱えていることがある。そんなときに、ただ隣にいて、そばにいることがどれだけ大きな支えになるのか、この歌が教えてくれた気がします。
子どもたちの笑顔に、何度も背中を押された
年子育児の中では、毎日が完璧にはいきませんでした。
むしろ、うまくいかないことのほうが多かったかもしれません。それでも、子どもたちが笑ってくれると、不思議と「また頑張ろう」と思えました。
「いつかちょっと悲しいこともある いつかちょっとうれしいこともある でも全部笑えたらいい」という言葉は、私にとって子育てそのものです。
うれしい日もあれば泣きたくなる日もある。でも、その全部を抱えながら生きていくしかない。だからこそ、子どもたちの笑顔は、ただの癒しではなく、前に進む力でした。
子どもたちが求めてくれること、甘えてくれること、笑ってくれること。
そのひとつひとつが、「私はここにいていいんだ」と思わせてくれました。
これからも、笑いながら泣きながら
子育てには、正解がありません。
うまくできない日があっても、怒ってしまう日があっても、全部がだめになるわけではない。そんなふうに思えるようになったのは、「笑顔」という曲が、私の気持ちをそっと受け止めてくれたからです。
「笑いながら泣くような日々を 泣きながら笑うような日々を そうやって生きていこう」
この言葉は、今も私の心に残っています。
完璧なお母さんじゃなくていい。
疲れてしまう日があってもいい。泣いてしまう日があってもいい。だけど、子どもたちと一緒に笑える瞬間があるなら、それだけで十分に意味がある。そう思えるようになりました。
これからもきっと、年子育児は慌ただしくて、余裕のない日が続くと思います。
それでも、子どもたちの笑顔に助けられながら、また一歩ずつ歩いていきたいです。
良ければ聞いてみてください

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